広島事務所に一冊のアルバムが届きました。差出人は白坂奈緒子さん。
夏にインターン生として来ていた彼女から、お題「一万円レポート」に対する最後の回答です。届いたアルバムは、伝えたいという想いがしっかりと込めらていて素晴らしい作品になっていました。
「一万円というお金の価値をどうデザインする?」
写真はすべて”写ルンです”で撮影されています。それは、撮影後の加工ができないから。彼女が広島で見たもの感じたことその瞬間が写し出されています。時間はみな平等に流れ去るもので故意に止めることはできませんが、唯一止めることができるとすれば、それは写真なのかもしれません。
消えていく時間を、だけど確かにそこに在ったものとして記録する。
同時に、その行為はカメラがあるから成立するのだと気づかされます。”写ルンです”は、今の私たちからすると決して高価なものではないですが、売買によって入手できる道具です。お金の価値=道具の価値とするか、お金の価値<道具の価値とするかは、使い手次第であり、想いが込められていれば、被写体以上の何かを写すことができると、彼女の作品を見てそう感じました。
「すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。 志村ふくみ」
やっぱりこの言葉がしっくりくる。
2019.09.08 ©naoko shirasaka
文:白坂奈緒子
写ルンですを一万円レポートの回答にしたのは思い出を残したいというシンプルな考えからでした。写真を撮って、現像して写真を見た時に一万円というお金を使うこと以上に記憶を記録するということに意味があるように感じました。写ルンですの価格や現像代といった目に見える価値ではなくお金に変えられない価値を得られたと思っています。
シャッターを切る瞬間の音や匂い、気温や疲労感。誰と出会ってどんな話をしたのか、どんな気持ちだったのか。
仕上がった写真を手に取った時、記憶の再生ボタンが押されたような感じがしました。何を撮るのか、どんな構図で、どんな角度で撮るのかなど様々なことを考えます。普段よく利用するスマホのカメラはすぐに確認できて何度でもやり直せて、加工もできます。写ルンですは一切できません。だから、シャッターを切るその一瞬にとても慎重になるし毎回緊張しました。だからこそ一枚一枚に込めた思いも、その時の記憶も濃いものとなって残っていると感じます。
2019年9月のあの時に私が広島に行って体験したことがしっかり詰まったアルバムができました。写真に切り取られた風景だけでなくその写真を撮るまでのストーリーが思い出せるアルバムになったと思います。うまくいかなかった写真ももちろんありますが、それも私が切り取った瞬間であり、私がそこに居たという痕跡になっていると思います。このアルバムを何年後かに見た時にもこの記憶が蘇るような気がします。そして、当時を振り返り過去の私が何を考えていたのか、未来の私が思いを馳せるきっかけになるとアルバムの価値はこれからも濃いものになっていくと思います。
2019.09.01 – 09.08 STUDIO MOVE HIROSHIMA ©naoko shirasaka