居場所をつくる

24/06/17

母校である北九州市立大学にて、2020年より建築学科2年生の非常勤講師を務めている中尾さん。2年生といえば、建築の実像をぼんやりと捉えはじめ、建築と出会いはじめる頃。

毎年この時期に、建築を生業としている講師陣から学生さんへ向けたレクチャーをしているということで、さて、今年は何を話そうかと悩む私たち(笑)昨年は齋藤くんと一緒に福岡・広島それぞれの活動をご紹介させていただき、今年はモブメンバーも増えたタイミングでもあったので、改めて建築について考える時間にできたらと。

あえて事前打合せはせず、今、中尾さんに聞いてみたいことを聞く時間にしてみました。


清水:「建築をつくることは、場をつくること、居場所をつくること」昔からよく、そして今でもそう呟きながら図面と向き合っている姿が、建築を考えているときの中尾さんのイメージです。

中尾:居場所づくり、そうかもしれないですね。小さいころから手を動かすものづくりがすきで建築学科に入ろうと思った一つの理由でもあるんですが、僕が建築っておもしろいなと思ったきっかけは、みかんぐみの曽我部さんです。大学3年生のときに参加したワークショップでお会いして、その打ち上げのときだったかな、卒論か何かの調査と称して受水槽に住んでいる人がいるって話を聞きました。家の概念が吹っ飛びましたね。

いわゆるn-LDKっていう手法がパズルゲームに思えて違和感を感じていたころだったから、住んでしまえば受水槽も家になるという発想に衝撃を受けたのを覚えています。思えば、そのときからずっと“居場所”みたいなことを考えつづけてるいるのかもしれない。

部屋があるから、場所があるから人がいるんじゃなくて、人がいるから、そこに居場所があるから場になっていくみたいな。


話を聞きながら、MOVE=モブの由来にもなっている「人の心を動かす存在で在りたい」というのも、おそらくここに繋がっていて、用途によらず、人の行為の延長にコミュニケーションが生まれるような仕掛けづくりが、根っこになっているんだろうと再確認します。

人が滞在できる場と時間があれば、そこには自ずと空間が生まれる。


清水:モブが大切にしている概念に「+MOVE」があると思うのですが、この考え方も社内外のチームづくりにつながっていますよね。

中尾:「+MOVE」には、互いに応援し合いながらプロジェクトを一緒に創っていきたいという思いを込めています。僕たちはたぶん、建築だけじゃなくてその周辺にあるものや事柄にも興味があって、やりたいことも色々あるから、いろんな方とコラボしながらプロジェクトを進めることが多いです。

そのプロセスを第三者の視点から発信していきたいというのが+MOVE記事のはじまりなんですが、それがだんだんと形になって「設計事務所なんだけど編集室がある」という、今の体勢になりました。

僕たちがつくった空間やできごとを編集室から発信していくことで、設計業務そのものとしては終わっても、繋がり合えるきっかけになるというか、そこから新たな関係性も生まれていくような気がしてます。

清水:スタジオモブって何ですか?と聞かれたら、最近は「畑のようなもの」かなと思ってて。応援したいの気持ちは社内メンバーに対してもたぶんそうで、各々がやりたいことを実現するために「スタジオモブ」という土壌がここにあるという感覚です。その土壌が健康で常に「いい状態」であるために誰ともなく耕し、水をやり、ときに収穫物をもって行商に出かけ、また帰ってくるを、日々繰り返す。組織というよりも土壌・畑みたいなイメージです。

私たちは、場所やルールに固定されることなく好きな場所で自由に働けているからこそ、仲間への信頼がより一層大切になってきます。中尾さんと齋藤くんがいつも言ってくれているように、「感謝」と「思いやり」の気持ちをもって仲間を応援し合いながら、スタジオモブという畑をみんなで育てていきたいですね。


1時間のレクチャー後、前期の講義をご一緒させていただいている建築家の古森さんからご質問。さすが古森さん、質問が良すぎました…。良い質問は思考を伸びやかに展開してくれて、した側よりもされた側の方がハッとします。質問力は提案力と同じくらい大切な要素。質問の仕方を質問したいくらい(笑)

古森さんの質問は、レクチャーの中で私が何気なく語った「建築学科で学んだことは、分解と再構築の手法であり、今は直接的に建築をつくっていないけど、脳ミソの使い方がいろんなことに繋がっている」ことについて。


古森さん:問題を発見して解決していくこと、それはつまり分解して再構築していくこととイコールだと思うんだけど、あえて“分解”と“再構築”って言っている意図って何だろう?

清水:数ある要素の中からどう多次元的に選ぶのか、その選択に対しての組み合わせには直感的なセンスが必要で、さらにクリエイティブジャンプさせるためには再構築にスキルが伴うという思考の使い方が共通しているのかなと。

古森さん:デザインの中で、分解と再構築は“部分”だと僕は思っていて、実はもっと上位概念のところに「発見」っていうのがあるじゃないかな。それがデザインに近い言葉であるとも言える。そこを、分解と再構築に限定してしまうと手法が減ってしまうのでは?というのが僕の問いで、問題を発見するということは、必ずしも分解と再構築するだけじゃない「発見」もあります。もしかすると今の時代は、全くのゼロからイチを生み出すことはほぼないから、ある要素を分解して再構築する、新しい組み合わせを発見することしかできないとも言えるけど、でもそれは一部の手法であると思ったほうが余白があっていいよね。

中尾:相手から与件として提示されている問題と、まだ見えていない本質的な問題と、大きく2つあるようにも思えます。

古森さん:本質的な問題を掘り出すのに「問い立て」は有効だけれども、そこには分解ではない「きっかけ」があるときもあって。それは、デザインの最初のモチベーションになりえる発見。閃きみたいなことがある。閃きをどう説明するかだけど、閃きもデザインだったりするよね。反射に近いものかもしれない。デザインする側としては、その行為を分解と再構築だけと捉えてしまったときに発想が狭くなってしまう弱さを内包するから、そういう意味で「デザイン=分解と再構築」って定義しないほうがいいんじゃないかな。きみたちは、建築そのものをもっと大きなものとして捉えて目指しているわけだし、もっともっと大きなことをやる集団だと思ってるから、それを表現できる「上位な言葉」があるんじゃないかなって、思ってます。


 

さて、みなさんはどう思いますか?