翌日のオープンハウスの準備に勤しんで(勤しんだつもりだったけど、前日の段階で完成度は20%くらいだったな…)すっかり腹ペコな私たちを待っていてくれたのは、すてきなディナー。食べる前からすでにわくわくです(笑)
南阿蘇村の大自然を眺めながらみんなで囲む食卓は、なによりのごちそう。チリソースのから揚げがこれまた絶品!OHAスタッフさん、そしてオーナーの小湊さんともご一緒させていただいて、この場所ができるまでの物語をゆっくりと伺うことができました。
いつかお会いできたらなと思っていた小湊さんの言葉は、一つひとつが優しく響き合っていて、今の私たち、それから未来の私たちどちらにとっても道標になってくれるよと、迷ったときの自分に伝えてあげたい。
すべては、必然に導かれている
今から35年前。
7月7日に7人で会社を立ち上げられた際、この世界にインターネットも浸透していなければ、iPhoneがやってくる未来なんて想像すらしていなかった時代に、自由にどこでも仕事ができるようにと、時間や場所に縛られない働き方を目指されていたそうです。
「クリエイティブに仕事をやろうとすると、おそらくそこに仕事と遊びの境界線というのは存在してなくて、遊びのなかから何かが生まれることってありますよね。だとすれば境界線なんて必要なくて、みんながこの場所へ来て、充電して、その延長で発想したことが回りまわってビジネスになる方がいい。73歳の僕にとって人生最後の仕事は、みんなが描いている夢をかたちにすることだと思っています」
“グランド―マ南阿蘇”と名付けられたこの場所について「何の場所ですか?」と尋ねられることが多いそうです。巷では、〇〇らしいよと実しやかに語られているようですが、サテライトオフィスとかレストランとかギャラリーとか、何か一つの固有名詞で説明することはおそらく難しく、もっと身体的に、空と大地の間で呼吸する場所みたいな言葉がしっくりくるような気がしました。
「全国各地域の図面をデータ化する仕事を国交省から受託していた時期があって、そのときに車で全国を巡っていたんです。といっても、わざわざ僕が車で回らなくても資料を郵送してもらえば済むことだったんだけど、行きたいところは自分で行こうと思って。費用対効果を考えたらめちゃくちゃ悪いんだけどね(笑)
だけど、この場所を探すというもう一つの目的があったからほぼ全国を周りました。信州とか奈良とか吉野とか、素敵な場所は全国いろいろとあったけど、景観といい水といい空気といい、ここに勝る場所はなかったですね。
でも、この場所に巡り合えたのもいろんなご縁のつながりなんです。湯布院から阿蘇へ向かう途中に阿蘇の森っていうのがあって、何気なく立ち寄ってみたら、そこで出会ったオーナさんと車の話で意気投合しちゃってね。ここへ来た経緯とか、ネットで見つけた物件を見に行きたいんだけど右も左も分からなくてっていう話をしたら、じゃぁ一緒に行きましょうと。
だけどその物件がイマイチで。阿蘇なのに阿蘇山も見えないし、他の場所も案内してくれたんだけどピントこなくてね。僕が求めているのはいわゆる別荘とか商売できる建物ではないし、困ったなぁと。そしたら、これからは南阿蘇村がブランド化されていくからということで、そこを管理している不動産会社につないでもらって。改めて土地を探しながら狭い道をずーっと通って何気なくこの下をとおりかかったときに、申し訳なさそうに立ててあった小さな看板を見つけたんです。
まだ整備されていないジャングルに車を留めて、先を歩いて森をぬけると迎えてくれたのがこの景色。もう、ここしかないと思ったね」
みんなの夢をかたちするための場所。ようやく出会えた土地を購入すべく見積を進めていた最中、2016年の熊本地震が発生します。
「そのとき実は僕も阿蘇にいてね、近くの温泉旅館に泊まっていたんだけど、ドッカーンって地震がきて。翌朝早朝から湯布院まで移動して、もう大丈夫かなと思っていたらその夜にまた2度目の地震が発生。すぐに着替えて移動して、なんとかフェリーで四国へ渡り着きました。
後から聞いた話なんだけど、不動産の方は、こんな状況で土地の購入はもうないだろうと見積の取り止めを考えてたらしくてね。たしかに待てど暮らせど不動産からの見積がくる気配がなくて、しびれを切らして問合せてみたらそういうことだった。
でもね、そのときに思ったんです。自然と共に生きていく覚悟があるのかどうか、天から問われているなと。あんなに大きな地震が2度もあったのに、この場所はどないにもなってなかった。そこを継承する覚悟が、さてあなたにはできていますか?って」
小湊さんの答えは、イエス。土地の購入を決められたそうです。
「とはいえ、ここにどんな建築をつくるのか、具体的なことはノープラン。設計事務所を探さねばと思って友人に相談したら、OHAさんを紹介してもらいました。それで事務所を訪ねたんだけど、もし出てきた人がスーツにネクタイ姿だったら断ろうと思ってたんです。僕がこれからやろうとしていることはスーツじゃできないから、きっとうまくいかない。
そしたらゆる~い恰好をした二人が出てきてね、彼らだったら大丈夫だと思いました(笑)」
そこからOHAさんにお声かけいただいて、モブもプロジェクトに参加させていただくことになりました。
「すばらしいい土地に出会えて、彼らとも出会えて、建物の設計もできて、あとは建てるだけのところで、今度は工事を請けてくれる施工者が見つからない。いくつか紹介してもったんだけど、建築自体がチャレンジングな上にいろんな事情が重なって、なかなか見つからない。
どうしようかと途方に暮れながらも、もう一度はじめに依頼した施工者さんに相談してみようということで改めて訪ねたときに、今の施工者さんと出会うことができました」
ああ、そうだった。建築をつくることは一人ではできないんだった。“いい”建築をつくるのであればなおのこと。現代に生きていると何事も簡単にできるとつい思ってしまうけど、夢を描く人がいて、それを実現したいと願う人がいて、実現する世界には人と自然が共存し、ときにその厳しさに直面すれど逆らうことはできなくて、それでも私たちは生きていて、建築の力を信じ、夢を空間に込めて、ものづくりを行っていく。誰一人として欠けることなく自然も人も建築も一つのチームになれたとき、ようやくその姿を見ることができるのです。
「73歳を迎える僕がいま思うのは、ものごとは“偶然”起こるのではなく“必然”にあるということ。いろんなつながりが、そうなるように導びかれているんだなと強く感じています。だからね、夢のかたちをつくるために動いてきてよかったと思います」